田舎暮らしのこと、趣味のこと、地元大町のこと・・・
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平成7年の今日、その朝、午前5時46分。。。




顔に何かが当たってとっさに目が覚めた

異変を感じ、起き上がろうとしたが無理だった。
部屋全体が、いや、アパートの建物全体が、巨人に上から揺さぶられているかのように
「ぐわんぐわん」と揺れているのである。


目を明けたとき、
天井からぶら下がっていた蛍光灯の傘が、引きちぎれんばかりに
「ぶんぶん」と回転しているのが見えた。


自分の両側を挟むようにして林立する本棚から、まるで滝のように文庫本が
自分めがけてバラバラと落ちてきている最中だった。


「これは大変だ」と、
隣の6畳の部屋で寝た居た女房と子供たちを見ると、女房が寝ている子供たちの上へ
覆いかぶさって、恐怖に固まっているところだった。


このままアパートが倒壊かと、真剣に思った。

それほど強い、長い揺れだった。


収まったあと、テレビをつけても状況がよく解からず、そのまま出社した。


事務所の階段を上がったところにある休憩室のテレビを見た。


テレビには、阪神高速が倒壊して、神戸の長田区が火の海になっているところが映し出されていた。


この震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。m(_ _)m

c_01.gif





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顔に何かが当たってとっさに目が覚めた

異変を感じ、起き上がろうとしたが無理だった。
部屋全体が、いや、アパートの建物全体が、巨人に上から揺さぶられているかのように
「ぐわんぐわん」と揺れているのである。


目を明けたとき、
天井からぶら下がっていた蛍光灯の傘が、引きちぎれんばかりに
「ぶんぶん」と回転しているのが見えた。


自分の両側を挟むようにして林立する本棚から、まるで滝のように文庫本が
自分めがけてバラバラと落ちてきている最中だった。


「これは大変だ」と、
隣の6畳の部屋で寝た居た女房と子供たちを見ると、女房が寝ている子供たちの上へ
覆いかぶさって、恐怖に固まっているところだった。


このままアパートが倒壊かと、真剣に思った。

それほど強い、長い揺れだった。


収まったあと、テレビをつけても状況がよく解からず、そのまま出社した。


事務所の階段を上がったところにある休憩室のテレビを見た。


テレビには、阪神高速が倒壊して、神戸の長田区が火の海になっているところが映し出されていた。


この震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。m(_ _)m

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【2008/01/17 19:16】 | 暮らし
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hirobou
分かりません?この日は神戸にお住まいでしたか?あれから13年ですか?
私はこの日仕入れに東京・益子に行った帰りに空港で初めてテレビを見て知りました。走り回って仕事をしていました。
無事でよかったですね。

>hirobouさん
トチロー
自分はそのとき、京都市内でした。
たしか記憶では京都は震度5だったような。
あの時真剣に「もうだめだ」と思いましたね。
有感地震はあの地域はしょっちゅうなので慣れてはいたのですが
あれは別格でした。
子供たちに覆いかぶさっていた女房の顔が今でも頭に焼き付いています。

あの光景と臭い、忘れられないです
てんがい
翌日、京都の友人に借りたバイクで妹のいる神戸へ向かいました。
物資満載で発ったのですが途中あちこちでいろいろお困りの方に進呈
しまくり、到着時は全くの空荷状態でした。東京から必死の想いで到着
した私に向かって開口一番、「何をしに来たん?」と妹。
ともかく二輪車の重要性を身にしみた私は、とくとくと愚妻に向かって
災害時における二輪車の利便性を語り、公認を得ることが出来ました。
あれから六輪生活が始まりました。


>てんがいさん
トチロー
物資、送りましたねー。
当時西宮に住む友人とどうしても連絡がつかず
しばらくは悶々とした思い出があります。
あれからしばらく、会社の真上を陸自のチヌークが行き来していました。
大阪の実家も、屋根瓦が脱落し、浴槽の土台が割れて作り直しました。
ここは「大地震が来る」といわれてはや数10年。
ちょうどフォッサマグナの真上に位置します。
「備えあれば」ですよね。

物資を整理する手伝いしてました。
てんがい
陸上自衛隊だと伊勢あたりから飛んで来たのでしょうね。
震災以前は自衛隊に対して、好き嫌いの感情はなかったのですが、
現地で「おばあちゃん、今助けるからなーがんばりや」と自衛隊員が
崩壊家屋の土砂を素手のままで掻き出していたのを目撃して以来、
変わりました。彼らの活動を思い出すと今でも頭が下がります。

オフ車は万能ではなく、連結したポリタンクを一度に4個運べるのは
重量車です。(当家ではこの理屈は最近になって崩壊しました・・・)
深夜の通販番組で売られている振動マシンよりも、メタボの産物を
タンクに半分載っけてブッ飛ばした方が精神的にもいいじゃないか、
という理屈も全く通りそうにありません。


>てんがいさん
トチロー
実際に現地で活動しておられたんですね。
脱帽。
自分もよほどボランティアで参加しようと思ったのですが、
自分が不在だと家のことが・・・
あの当時、確かに2輪が機動力を誇ってましたよね。



勝手に道徳とか人の道を怒鳴って
てんがい
活動というほどのものではなく、怪しい自営(業者)隊員として普段の仕事を
サボるための言い訳に10日ほど救援物資の整理で滞在していました。
すでにいい歳のオッサンだったので、不届きなボランティアの若造を見つけ
ては関西弁で思い切り、怒鳴り散らしておりました。少しだけ反省してます。
あれから少しはお上品になったかというと、いささか・・・。

>てんがいさん
トチロー
確か、物資が殺到して仕分けが追いつかなかったと記憶しています。
「**の地区はもう必要ないです」との通達もあった記憶が。
こちらは「いや、大変だ」と一方的に送りつけるのですが
それを現地で仕分けする方々のことまでは、
残念ながら当時は頭に無かったように思います。
申し訳ないことをしました。
その辺はもう少し、国とか県がコントロールすべき問題なのでしょうね。
とにかく、当時は混乱の極みだったように思い出されます。

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コメント
この記事へのコメント
分かりません?この日は神戸にお住まいでしたか?あれから13年ですか?
私はこの日仕入れに東京・益子に行った帰りに空港で初めてテレビを見て知りました。走り回って仕事をしていました。
無事でよかったですね。
2008/01/17(Thu) 20:05 | URL  | hirobou #-[ 編集]
>hirobouさん
自分はそのとき、京都市内でした。
たしか記憶では京都は震度5だったような。
あの時真剣に「もうだめだ」と思いましたね。
有感地震はあの地域はしょっちゅうなので慣れてはいたのですが
あれは別格でした。
子供たちに覆いかぶさっていた女房の顔が今でも頭に焼き付いています。
2008/01/18(Fri) 05:37 | URL  | トチロー #JN7ftFKI[ 編集]
あの光景と臭い、忘れられないです
翌日、京都の友人に借りたバイクで妹のいる神戸へ向かいました。
物資満載で発ったのですが途中あちこちでいろいろお困りの方に進呈
しまくり、到着時は全くの空荷状態でした。東京から必死の想いで到着
した私に向かって開口一番、「何をしに来たん?」と妹。
ともかく二輪車の重要性を身にしみた私は、とくとくと愚妻に向かって
災害時における二輪車の利便性を語り、公認を得ることが出来ました。
あれから六輪生活が始まりました。
2008/01/18(Fri) 07:42 | URL  | てんがい #vh1mV2jE[ 編集]
>てんがいさん
物資、送りましたねー。
当時西宮に住む友人とどうしても連絡がつかず
しばらくは悶々とした思い出があります。
あれからしばらく、会社の真上を陸自のチヌークが行き来していました。
大阪の実家も、屋根瓦が脱落し、浴槽の土台が割れて作り直しました。
ここは「大地震が来る」といわれてはや数10年。
ちょうどフォッサマグナの真上に位置します。
「備えあれば」ですよね。
2008/01/18(Fri) 08:07 | URL  | トチロー #JN7ftFKI[ 編集]
物資を整理する手伝いしてました。
陸上自衛隊だと伊勢あたりから飛んで来たのでしょうね。
震災以前は自衛隊に対して、好き嫌いの感情はなかったのですが、
現地で「おばあちゃん、今助けるからなーがんばりや」と自衛隊員が
崩壊家屋の土砂を素手のままで掻き出していたのを目撃して以来、
変わりました。彼らの活動を思い出すと今でも頭が下がります。

オフ車は万能ではなく、連結したポリタンクを一度に4個運べるのは
重量車です。(当家ではこの理屈は最近になって崩壊しました・・・)
深夜の通販番組で売られている振動マシンよりも、メタボの産物を
タンクに半分載っけてブッ飛ばした方が精神的にもいいじゃないか、
という理屈も全く通りそうにありません。
2008/01/18(Fri) 12:30 | URL  | てんがい #-[ 編集]
>てんがいさん
実際に現地で活動しておられたんですね。
脱帽。
自分もよほどボランティアで参加しようと思ったのですが、
自分が不在だと家のことが・・・
あの当時、確かに2輪が機動力を誇ってましたよね。

2008/01/19(Sat) 05:53 | URL  | トチロー #JN7ftFKI[ 編集]
勝手に道徳とか人の道を怒鳴って
活動というほどのものではなく、怪しい自営(業者)隊員として普段の仕事を
サボるための言い訳に10日ほど救援物資の整理で滞在していました。
すでにいい歳のオッサンだったので、不届きなボランティアの若造を見つけ
ては関西弁で思い切り、怒鳴り散らしておりました。少しだけ反省してます。
あれから少しはお上品になったかというと、いささか・・・。
2008/01/19(Sat) 21:59 | URL  | てんがい #vh1mV2jE[ 編集]
>てんがいさん
確か、物資が殺到して仕分けが追いつかなかったと記憶しています。
「**の地区はもう必要ないです」との通達もあった記憶が。
こちらは「いや、大変だ」と一方的に送りつけるのですが
それを現地で仕分けする方々のことまでは、
残念ながら当時は頭に無かったように思います。
申し訳ないことをしました。
その辺はもう少し、国とか県がコントロールすべき問題なのでしょうね。
とにかく、当時は混乱の極みだったように思い出されます。
2008/01/20(Sun) 06:24 | URL  | トチロー #JN7ftFKI[ 編集]
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